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日志


2009/7/5

何を案じているのだろうか・・・恐怖過ぎる夢。

※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※・※
20cmほどの厚さのコンクリートで出来たシェルター。
幼き10人程の子供と共に身を隠す。


外では人種問わず、誰が敵で、誰が味方とも分からない戦争が続く。



「ねぇ、もう外に行きたいよー・・・」
「まだ出れないの・・・?」

何日も閉じ込められて子供も心身共に限界である。

「外は危ないんだって。駄目って云ってたよ」
「えぇ~~」

―もう寝よう。明日になったら外へ出られるかもしれない

子供を宥めながら寝かせる。


子供が眠り静まり返った頃、シェルターの厚い扉をたたく音がした。

「い・・・入れてください・・・!!すぐ・・・助けて下さい!!」


今は一体何時の時代なんだろう。

インターホンに2人の子供が映っていた。

頭から血を流して・・・。


急いで彼等を入れ手当てをする。


―何があった

「戦争は・・・終わろうとしてるのです・・・。ただ・・・もっと恐ろしい事が起こるのではと・・・」



※・※・※・※・※

気が付くと焼けた家々や崩れ落ちそうなビル、力尽きた人々が座り込むかつては活気付いていた街の中にいた。
彼処から煙が立ち上り、焚火のような炎が点々と残っている。

―戦争は・・・終わったのか?


数台の大きなトラックがエンジン音を響かせて近づいてきた。

何のエンブレムもない迷彩服を着て、肩にライフルを掛けた兵士達がそれぞれのトラックから数人ずつ降りてきて、座り込む人々に声を掛けている。
声をかけられた人の中には、何やらカードや手帳のようなものを差し出す者もいる。
そして、それらを差し出さない人の中には、無理矢理トラックに乗せられていった。


2人の兵士が近づいてきた。

「何か、身分の証明できるものはありますか?」


アジア人のような顔立ち。

―このようなものでよければ・・・

かつて、まだ戦いが世界中に広まっていなかった頃に使っていた運転免許証を差し出す。

「ありがとうございます、****サン。今の苦しみを乗り越え、生きて新たな世界を見届けられるよう祈って居ります」

2人は敬礼をして遠ざかった。


―あ・・・・あの・・・・!トラックに乗せられた人々は何処へ向かうのでしょう・・・

声を掛ける。

「彼等は・・・身分のない奴等は、何も無いところへ行くのです」


―着いて行ってもよろしいでしょうか

「貴女が耐えられるのなら、それでもかまいませんよ」

答えた兵士は笑った。

※・※・※・※・※・※
とある施設。

そこには何人もの子供が重労働を強いられていた。

細い体でひたすら機械を動かしたり、重い物を運んだりしている。

足元には電気が通る仕掛けがあり、一瞬たりとの休息も許されない。


「働け!!働くんだ!!!今のお前達に休む権利はない!!」

体格のいい男が叫んでいた。



―彼等は一体・・・

「こいつ等は身分が無いんですよ。証明できない。だから今後の世界の為に働くのさ、永遠にね」

案内をしてくれた兵士が云う。


―ひ・・・ひどい・・・


夜になると、子供達は狭い部屋に集められ、身を寄せて眠っていた。
中には昼間の恐怖から、涙を流し、声を殺してなく者もいる。

「お前達はよく働いている。泣かなくていいんだよ。いつか報われるさ」
昼間声を張らしていた男が其の子等を慰めていた。


※・※・※・※・※・※

翌日、別の施設に居た。

異臭・・・。


正方形の鉄でできた巨大な剣山のようなものが4本のチェーンによりいくつも天井から釣り下がっていた。

生臭い血の臭い。


4本のチェーンのうち、2本が外れる。
其の反動で剣山が何かに向かって振れた。

向かった先には人間の列。


人種男女問わず、何百何千人もの人間が全裸で並べられ、剣山が向かってくる恐怖に叫んだり震えたりしている。


耳を塞いでも手を抜けて頭に響く叫び声。
目を閉じても脳裏に浮かぶ人達の行末。
肺に残る血生臭い空気。

「彼等は、身分もない使い物にならない大人共です。いらないモノは此処で朽ちるのですよ。貴女は立派な身分があるので決してあのようにはなりませんよ、安心してください」

案内人の男が笑いながら云った。
2009/4/5

彼方への気持ち・・・

あまり会えないけれど、彼方は私の中に住んでいます。
 
あまり話さないけれど、そんな彼方が素敵です。
 
あまり興味は持たないけれど、そんな彼方も好きです。
 
 
 
彼方への気持ちが定まらなくて。
 
ほかの人へ流れていってしまいそうで。
 
辛いけど。
 
 
そんな彼方に会えたときの喜びの方が大きいから。
 
 
 
複雑なこの気持ちのままでいたいのです。
2007/5/13

母の日と父の誕生日。

今日は母の日なのです♪
 
ママサンに姉妹4人でプレゼントを買いあげました。
ママサンちょっと若々しくなりました!
髪伸ばせばもちょっと若くなるんだろうに・・・(´・ω・`)
 
 
 
そして2日後の5月15日がパパサンの誕生日なのです!
 
ということで、次女と2人でプレゼントを買って(といってもまだ割り勘分の金を貰ってないが)あげました。
後"ココペリ"の布(←・・・?)を自分からということであげました。
     ↑
之は自分もほしい一品です。かわいすぎ!素敵すぎ!!ビバココペリ!!!!!!
 
 
 
 
今日は母方祖父の17回忌で、お墓参りに佐野市まで行って来ました。
久しぶりに会う従姉も居て楽しかったです。
 
 
 
というわけで、珍しく、とても充実した一日でした♪
2007/4/25

Happy Birthday to me.....

Happy birthday to me
 
happy birthday to me
 
happy birthday to me~~~
 
happy birthday to me
 
 
 
Happy birthday to youの歌を留守電に入れてくれた友達が居ました。
すっごく嬉しかった。
 
幸せ者だなぁ自分って♪
 
 
 
 
誕生日に給料日って素敵なのね・・・・どうだか・・・・
 
福知山線事故も今日だけど・・・・(グハ。
2007/1/21

季節を感じ、日々を感じ・・・

1週間サボってしまい2週間ものブランクがありました・・・|||OTZ
年始早々自分の中で立てた目標は断念されました・・・情けな・・・
 
1月1日、夜中に友達と2人で、伊香保温泉の側の「水沢観音」というところへ行って来て、初詣でした。って言ってもこの時点で初詣2回目。
その後も2箇所行って来たので、2日の時点で、4度も初詣に行ってきました(すでに"初"ではないですよ)。
 
1月9日、仕事を終えてから着替えて、姉のところへ行きました。そして姉と一緒に、前橋市の「初市-だるま市-」に行って参りました。
街が凄く混んでて、目的地に着くのにすっごく時間が掛かった・・・
平日だし、調度帰宅ラッシュの時間だし・・・
 
県外の人はわからないと思うけど、群馬ってホント車多いからねぇ・・・あの量は半端無い。吐きそうなほど、市街地や駅前にだってタクシーより一般車の方が多いっつーね・・・・汗
 
 
でも、あのだるま市の熱気と食べ物のおいしそうなにおいや色はたまらなかったです!!!!よだれが・・・・(マテ
 
年に1度、1日しか行われないだるま市だったので、楽しめてよかったです☆
 
 
 
先週は、センパイのお母様が突然亡くなり、先輩のクラスの分を自分が4日間も持ったりとか、其の間に行事が2つも入ったりとか・・・
誕生日会の司会をやったりとか、出し物のネタが無くて1ヶ月半以上悩んだりとか・・・・
 
年が明けてから早速色々あったけど、すっごく充実していた。
 

これからは気をつけてコマメに更新します・・・
2006/9/11

2001⇒2006

9.11.2001

 

あの悲惨な出来事があってから早5年。
 
まだ五年か。
と思う人も居れば
もう五年だ・・・
と思う人も居ると思う
 
どんなに年月が過ぎようと、亡くなった人は帰ってこないし、傷付いた人のココロは癒されない。
 
それは、直接被害を受けた人々や、遺族もそうだし、間接的に被害を受けた人だって同じことである。
 
 
もし、2001年9月11日のあの朝がなければ・・・
 
 
より多くの人間がこの地球上に存在したということは間違えない。
より多くの人間が幸せを感じていたということも間違えないと思う。
しかし、今ではより多くの人間が憎しみを覚え、出さなくてもいい死者を出している。
 
テロに対して、すぐに動いた米国政府。
日本だったら、あんなにすぐ政府が動くのだろうか?
北朝鮮ミサイル発射実験のときはどうだったっけ?
 

時には人を憎まなきゃいけない時だってあるの。

彼方の感情を表に出したって許されるの。

 

けれどね。人を殺めるのはオカシイのよ。

そしてね、その為に自分で死ぬという道を選ぶのもオカシイ。

飛行機に乗っていたすべての人。
倒れ行くWTCの中で亡くなった人々。
1人でも多くの人を助けようとしたFireFighterの人々。
そして、彼等の家族へ。 

 

みんなで祈りましょう。 

 

この、おぞましい出来事を忘れないように。

そしてこんなことが二度と起こらないように。

 


平和ってなんでしょうか。

自分の幸せの為なら何をしても赦されるの?


去年も同じ事を書いたんだけど、未だに解決しない永遠のなぞです。 

2006/8/6

今年初のまつり*花火

本当は知り合いと行くはずだった祭りだったけど、色々あって、一人で行きました。
片道約17km。何が悲しくてそんなに距離がある場所へわざわざ花火だけを観に行くんだろう。
この祭りも行き始めて早3年。
去年は残念ながら花火は見れなかったけど(家族の予定が急遽入ってしまい)、今年は全ての花火を見ることが出来てよかったです。

花火はやっぱり素敵です。
次々と変わっていくあの色や形。そして体全体に響くあの音。
感動ものです。

色々あって、今年の花火は少し泣きながら見てました。


(´・ω・`)女が一人で泣きながら花火を見るって悲しいです・・・ヨ・・・
でも行けてよかったです><

水に映る花火もなんともよかったです。近くで見れて良かった♪
2006/6/14

June 14th for me.

6月14日は自分にとってとっても大切な日です。
4年前の今日、無事に高校を卒業した日なのです!


思い出せば4年と数日前、母親と姉が会いにきてくれて、卒業式を見に来てくれました。
そして4年前の今日、卒業式は夕方からだというに、昼間っから卒業式の準備!
男子はおそろいのタキシードを着て、女子は純白ドレス。
純・白・ド・レ・ス!!!

このときから、お嫁に行くのは諦めました・・・ハイ・・・

真っ赤なバラを持って入場・・・

卒業生が卒業証書を貰うので名前を呼ばれると、その人の友達や家族が名前を叫んだり音を出したり。それがアメリカ風卒業式。
でも自分は友達少なかったし、静かなんだろうなぁって思ってたら案の定・・・じゃなくて・・・
卒業式に招待してきてくれた人たち(特に子ども達)が、すっごく大きい声で名前を呼んでくれました><うれしかった!!!!

 
 
卒業証書を貰って、スクールカラー(赤・青・白)の毛糸を三つ網で編んだものを貰って(←今でも車にぶら下げてます)、歌を歌って・・・バンド部による威風堂々の生演奏聴いて><超感激。

自分は1年しかいなかったから思い出とか思い入れとかそんなにない学校だったけど、退場時、となりを歩いた女の子は化粧が落ちるほどボロボロと泣いてました(>w<) 確か幼稚園から大学まである学校で、やっぱり長い子は高校まで全部行ってるわけで・・・そりゃ10年以上通ってたら泣くよねー・・・中学で卒業式があるわけじゃないし・・・
まぁ自分の場合、卒業式とやらで泣いたことが一切無いからな。うん・・・
 

純白ドレス探しが大変だったり、自分の足に合った白い靴がなかなか無くて探すの大変だったり、歌もよくわからんで「God Bless America」の曲くらいしか歌えなかったり・・・
結局ドレスは、同じ高校で卒業した子どもが居る先生のドレスを借りて(サイズがぴったり♪)、靴はサイズが合わなくて、階段から転びそうになったし・・・歌は、偶然自分が歌える部分だけ、スクリーンに映ってたってラッキーな・・・・

大変だったけど、この高校を卒業できたから今の自分がいるのだと考えると幸せです。


あれから4年の歳月・・・
W杯が前回行われたのも4年前って、すごく印象的だったのが、韓国人の男の子が真っ赤なユニフォームを着て学校に着てたこと・・・だからすごく覚えてる・・・しかもその韓国人の子、結構かっこよくて好きだったなぁ。うん。やさしかったし。

W杯っていうと、サッカーより、彼を先に思い出してしまいます・・・
2006/4/25

23年目。

23年前の今日、この世に生まれてきました。
 
誕生日です!!!
 
 
待ってた様な忘れたかったような・・・
ウム・・・・
 
 
 
 
 
朝は、一番に出勤。7時15分・・・
 
 
7時50分の先生が出勤してきた時「先生!お誕生日おめでとうございます!」って言ってくれて><
でも一瞬何のことかわからなくて・・・2秒くらい間があってから「あぁありがとうww」って感じでしたが・・・・汗
 
 
 
昼間はクラスの子どもたちに「オメデトォー!!」って言われて♪かわいいなぁ><
 
 
 
帰りには先生たちが改めておめでとうを言ってくれて♪
 
 
 
一旦家に帰って、色々準備をして、今度は夕飯へ・・・
 
 
「日本食でした。」
 
 
 
その後、某村の神社で肝試し。
 
真っ暗で、なんか出そうでホントに怖かった・・・!!!!!!!!!!
 
 
 
 

いい誕生日でしたよ
 
 
みんなありがとう!!!!!!!
 

一年前に「JR福知山線脱線事故」があり・・・
自分の誕生日にこういう嫌な事故や、事件があると嫌ですよね・・・
2006/4/15

|>再生。/忘r(ry・・・

1984年 風の谷のナウシカ
1986年 天空の城ラピュタ
1988年 となりのトトロ
1989年 魔女の宅急便
1991年 おもひでぽろぽろ
1992年 紅の豚
1993年 海がきこえる
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ
1995年 耳をすませば
1997年 もののけ姫
1999年 となりの山田くん
2001年 千と千尋の神隠し
2002年 猫の恩返し
2004年 ハウルの動く城
 
 
ほとんど見た・・・
でもまた見たい(//x//)
 

彼方が好きな作品は?

ショックですよ?これって。

秋金:「25日さーなんか予定ある?でなきゃ出かけるんだけど」
母:「んー?そんな後のことわかんないよ。」
秋金:「ぇ・・・ぁ・・・そう・・・」
母:「なんで?」
秋金:「んーぃゃ・・・友達が誕生日祝ってくれるんでさ」


 


暫しの間


 



母:「あぁ25日誕生日か!」

 


自分の子どもの誕生日くらい覚えててくださいよ・・・(´・ω・`)

そして自分は忘れない!!!

2006/2/9

人の死って。

こないだ、新潟に住むイトコのお兄ちゃんが亡くなりました。
認めたくなかった自分は新潟に行きたくなかったです。
でも姉に逝かない理由を聞かれたとき、「認めたくないもん、逝かない」なんて言えない。
結局新幹線に乗って日帰りで行ってきました。
 
 
それからずっと体調不良。
 
眠れない(毎晩3時半くらい)
寝たら今度は起きられない(ギリギリ)
食べられない(朝夕抜)
嘔吐(仕事の昼休み吐いた)
 
体重は減らないんだけどね!!!!(何故・・・)
 
明日(2月9日)は7時15分出勤。
今日(2月8日)は19~0時まで寝た。
もう眠たくない・・・汗
寝るべきか寝ぬべきか!!!
2005/10/23

一年・・・。

中越地震が起きて一年という時間がたちました。
 
地震という自然災害で天に召された全ての方へ、御冥福御祈り致します。
 
最近、地震が本当に多くなりましたね。
 
日本だけでなく、海外でも地震や地震による、大津波の発生により、沢山の方々がなくなりました。
何事も無かったように過ごして、テレビの中だけで被害の様子を見ている自分達がどんなに幸せか・・・と思います。
 
しかもなんで寒い時期に起こるんでしょうね・・・?地震・・・
阪神大震災の時は1月17日でした(確か)。
そして中越地震もこれから寒くなる!という時でしたね・・・。
 
わたしは当時地元を離れ、短大生活を送っていた名古屋に居ました。栄と言う街から高速バスに乗って家路についていました。そしたら友達から「大丈夫!?」という短いメール。「???」「なんか新潟の方で地震があったみたいだけど大丈夫?」「んー・・・名古屋に居るからわからないけど・・・」
 
部屋に着きテレビを付けると、ほとんどの放送局では、予定していた番組の変更、ニュースでした。何度も何度も地震が起きた時のテレビ局内の様子などが放映されてました。
 
事の重大さに気付いたわたしは実家に電話。父親が新潟の人なんで、そっちのほうは大丈夫かという確認の電話でしたが、なかなか繋がらないとのこと・・・・(´・ω・`)新潟の地震の影響で、やはり群馬も結構ゆれたらしく、親戚の無事を確認する前に、自分達も無事か・・・というところが問題だったようで・・・大分パニクってました・・・汗
落ち着いたら連絡してくれると言うことなのでとりあえず電話を切り。
 
新潟に住む知り合いにメールをしました。
 
が・・・・
 
連絡は無く・・・・・ 
 
一週間後、連絡がつきました。
無事でした。
無事で何よりです!!!

新潟に住む知り合いのブログで豪く生々しい地震が起きた時の状況ブログを読んで。
やはり、思い出したくない惨劇だけど、忘れてはいけないことってあるんだなってつくづく思いました。
 
今ここに居るだけでも、次にどんな自然災害に見舞われるかわかりません。
平成関東大震災が来るかもしれない。
浅間山、火山活動がもっともっと活発になるかもしれない。
大雨で利根川が氾濫、次の被害は役所の人の車だけじゃないかもしれない。
バナナの皮を踏んで滑って頭を打って死んでしまうかもしれない。・・・っとアホは(っ´∀`)っオイトイテ。
 
何時何処で何が待ち受けているかわかりません。
 
このことを忘れずに・・・
未来に向かっていけるように・・・・
2005/9/11

911

9.11.2001

 

アメリカ合衆国NewYork州のWTCで同時多発テロが発生して4年という年がすぎました。

 

2001年9月11日の朝。

わたしは、いつものように起き、いつものようにシャワーを浴びて、

いつものように家をでようとしました。

 

そしたらわたしのHostMotherが

”New YorkでWTCに飛行機が突っ込んだんだって”と言いました。

わたしは、大事だとは知らず聞き流し家をでました。

学校でも大騒ぎというわけではなく

その日の学校生活も無事終えました。

 

 

 

 

 

NewYorkが・・・・・

 

 

 

家に帰るとテレビをつけるのが習慣になっていたわたしは

いつものようにテレビをつけました。

ベッドに横たわりテレビのチャンネルを回すと

どれもこれも同じ事ばっかりやっていました。

「??」

Whats going on・・・・?

100近くあるチャンネルの半分はニュースだったのです。

 

そして、

何度も何度も

「飛行機が突込み、WTCが崩れる」

(コレ↑)が流れていたのです。

 

 

!!!!!」

 

朝、こんな大事が起こっていたなんて。

HostMotherが朝言ってたのはコレなのか。

 


そして

 

なんと

 

姉が

 

New Yorkに

 

居たと・・・

 

モチロン生きてますが。(*´-`)-3


 国境もかなり制限があったようで、わたしの学校にはメキシコから毎朝通ってくる双子の姉妹がいたけど、彼女たちも1週間くらい学校にこれませんでした。

 

 

それから早4年。毎年この日になるとテロのことを思い出します。そして、アメリカでの生活を思い出させます(ついさっき当時同じ学校に居た友達にメールをしたらおんなじことを言っていました)。

 

 

 

 

どうぞ、人を憎んでください。

どうぞ、彼方の感情を表に出してください。

 

 

 

しかし!!

 

 

 

人を殺めるのはオカシイと思います。

そして、その為に自分の命も捨てるのはオカシイと思います。

それとコレとは話は別です。

 

 

飛行機に乗っていたすべての人。

倒れ行くWTCの中で無くなった人々。

1人でも多くの人を助けようとしたFireFighterの人々。

そして、彼等の家族へ。

 

祈りをささげます。

 

 

この、おぞましい出来事を忘れないように。

そしてこんなことが二度と起こらないように。

 



このテロがあった日、わたしは日本に電話をしました。

「もしもし?ねぇ、NYでテロがあったの。姉って今NYだよね?」

「そうだよ、だから今、彼方にかまってる暇無いの。切るね」

ガシャン。

 

ウチの親ってこんなんです。

 

 

平和ってなんでしょうか。

自分の幸せの為なら何をしても赦されるの?

 

 

今、人類にとって一番大きな課題だと思います。